祖父の鞄
男満は、「優しいおじいちゃん」の隠居姿しか知らなかった訳ですが、
祖父の知られざる一面を知るきっかけとなった思い出深い品。
それは亡くなったあと形見分けをしている時、
戦車に関する青刷りの設計図や仕様書やらが鞄から出てきて、
職業軍人としての祖父の話を聞いたから。
父の話によると、陸軍技師であった祖父は相模総合補給廠の工場長を勤めており、
日本戦車の黎明期を築いた原乙未生中将の部下として、陸軍技術本部に参加していたとのこと。
靖国神社の遊就館に展示してある、九七式中戦車:チハの開発にも関っていたとか。。。
祖父は満州国で日本軍が劣勢になる前にマラリアを患い、命令により本土へ強制療養させられました。
その後、戦車連隊の戦友は、ほぼ全員が激しい戦闘で亡くなってしまったそうです。
結果的にマラリアが祖父の命を救い生き延びさせ、いま男満も居るのです。
祖父は孫である私に、戦争の話を一切しませんでした。
おそらく仲間を失った悲しみや、生き残った者としての後ろめたさが、
戦争について口を噤む要因だったのではないかと思います。
今となっては、祖父が戦争についてどう思っていたのかを確かめる術はありません。
祖父が健在なうちにいろいろな話を聞いてみたかったと思い、残念でなりません・・・
[旧日本陸軍相模造兵廠]
相模総合補給廠は、JR横浜線相模原駅~矢部駅までの北側一体を占める位置にある。
旧日本陸軍相模造兵廠として戦車や砲弾が製造されていたが、
米軍接収後は、在日米陸軍の補給基地として利用され現在に至る。
[九七式中戦車:チハ]
http://combat1.cool.ne.jp/97SHIKI.htm
[九七式中戦車改:チハ改]
http://combat1.cool.ne.jp/97SHIK-K.htm
[靖国神社:遊就館]
http://homepage2.nifty.com/yoyotoru/yasukuni06.html